白門41会だより第28号

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学員歳時記 第18話・俳優古谷一行氏と会う 宮田永生
楽吾記 還暦になって!! 佐藤貴美子
行事参加報告 『一OBの箱根駅伝応援』 岸   毅
60過ぎて青梅を走れる素晴らしさ 馬渕輝夫
挑戦 遙かな地平線を目指して 直井 誠
負けるな中高年、IT革命なんぞぶっ飛ばせ
第四話 メールについて
岩佐大三郎
編集後記 橋本紘治

学員歳時記

第18話・俳優古谷一行氏と会う

 去る1月16日、南麻布のスタジオで同期で俳優の古谷一行氏に会った。中大紹介ビデオのナレーションを依頼したことからその機会を得た。当日は、髭面、黒いカジュアルウェアで現れ、初対面にもかかわらず、いつものスタッフと仕事をする感じで、煙草を手にてきぱきと打ち合わせをして録音に入った。普通に読めば20分位のものを2時間半かけて入念に仕上げた。威厳のある声で期待どおりの出来栄えであった。
 休憩時間に白門41会の話を切り出すと、何年卒か意識したことがないと戸惑いを見せながらも、すぐに打ち解けて生まれ年や学生時代の話しになり、やはり同期の仲間であった。学生時代は法学部に在籍、演劇研究会にも所属して駿河台の白門祭でも公演した。在学中に俳優座養成所に入所したため、3、4年生の頃はほとんど授業に出られず、友人の助けで卒業することができたという。大学時代の友人たちとは時々集まって旧交を温めている。仕事は、若い頃は次から次へとこなして寝る間もないくらい頑張ったが、最近は好き嫌いをいいながらやっているので穏やかだという。「もう還暦なので、若い頃のようなことをしていたら死んじゃいますからね。おかげさまで健康には恵まれています。酒も飲み過ぎるようなことはないし、ゴルフなどスポーツも楽しんでいます。」と、結構健全な生活だ。金田一耕助シリーズなどで国民的人気だが、本人は「最近の若い人は知らないんですよ。音楽をやっている息子(降谷健志氏/Dragon Ash)の方がよく知られていて、『古谷一行』ではなく、『降谷健志のおとうさん。』といわれる。」と。白門41会で何か話して貰えないかと訊ねると、「とんでもない。台本がないとだめなんです。」と謙遜していた。
 気さくで穏やかな人柄。これからもなお一層の活躍を見せてくれるに違いない。いずれ昔の仲間とともに41会にも顔を出してくれるだろう。 (宮田永生)

楽吾記

還 暦 に な っ て !!

 昭和19年生まれの最後の早生まれさんも還暦を迎えられたことでしょう。
 この頃、惨い事件・事故が毎日のように起き、また、国を信頼できないと言うことも手伝って、今までに無く日本はどうなるのかと不安を感じています。  子供の頃、「毎日中学生新聞」の投書欄で【死刑廃止・賛成】論が掲載された時期があり、私もその頃は性善説で、死刑があれば自分が大人になる頃には、殺人事件はきっと無くなると心から信じて投稿したものでした。しかし、約50年後の今日、殺人事件が無くなるどころか増えている現状です。
 さて、そんな中、趣味を持って楽しんでいる方も多いでしょうが、私のように特に芸の無い方は映画鑑賞や展示会めぐりをお勧めします。60歳以上は、映画鑑賞1000円で出来ることを皆さんご存じでしょう。
 実は、2月18日(水)JR両国にある江戸東京博物館の特別展「円山応挙展」を夫と義姉夫婦と観に行き、ひと時美しい日本画に接し心和みました。常設展も楽しく、私は地下1階の映像ライブラリーに感動しました。様々な分野を1−5人用ブースでデジタル画像を無料で楽しめるのです。博物館チケット売り場に「65歳以上は水曜日無料」という看板が出ていました。きっと、全国の図書館・博物館・その他にも優待利用できるものが有るに違いありません。ちょっと、嬉しくないですか? 大いに活用しましょう。還暦後に生活にゆとり・潤いを持つのに一役かってくれそうです。
 41会の皆さん、お互いに自分なりの良き還暦後を過ごしながら、日本が世界から取り残されず、国内にも真に豊かな生活が得られるよう個人が出来ることには参加して参りましょう。 (佐藤貴美子)
 

行事参加報告

『一OBの箱根駅伝応援』

  陸上競技部のOBでも無く、単なる一OBの私ですが、今年も、また駅伝の応援に箱根町まで妻と泊まり込みで行ってきた。
 1月2日朝7時、新宿発のロマンスカーに乗り、箱根湯本から登山電車で強羅へ。そこからケーブルカーとロープウェイを乗り継ぎ、移る景色を楽しんでいると突然視界がパット開けた。千仭の谷を思わせる大湧谷、その前方で雪化粧した富士山が待っていた。雲ひとつ無い青い空に聳える富士、その美しい姿に目を奪われた。そしてその姿の神々しさに、神が宿っているような神聖さを感じた。
 大湧谷で降りしばらく富士(山)を眺め、富士と対話した後、再びロープウェイにのり桃源台へ、観光船で元箱根へと向かい、大きな鳥居を潜り樹齢数百年の杉の木立の木漏れ陽を受けながら急な石段を登り、箱根神社に参拝。時は既に正午を過ぎ、昼食をとる余裕も無く店前で蒸かしている温泉饅頭を手に、駅伝ゴール地の箱根町へと急いだ。 沿道は既に応援の人で一杯だった。各大学応援団の見事な応援、一緒に応援している人、見ている人の群れ、それはさながら“駅伝祭り”のような賑やかさだった。
 母校の応援団部の近くまで行ったが何重もの人垣に近寄れず、しかも其処ではとても選手の姿が見られる状態ではなかったので、已む無く昨年と同じ場所のゴールの約400m手前の、最後の坂道の頂点近くを応援の場所とした。ラジオで状況を捉えながら待つこと約半時間、広報車が通る頃にはここも道路両側はヒト、ひと、人の人垣となっていた。幸い最前列で背負っていたリュックを足元に置き、選手を迎えることが出来た。小田原中継所からの標高差が何と830m強の箱根路を、15位から13位と順位を上げて駆け登ってきた中村(和哉)選手の力走に、我が子のように妻と精一杯の声援を送った。 脱水症状で走って来る選手へ、沿道の人達とひときわ大きく声を掛け、応援したが、足元が覚束無く天を仰ぐような、気力だけで走っている姿には感動で胸がつぶれる思いだった。数分後にゴールインしたのを確認出来た時は本当に嬉しかった。最後の選手に声援を送った。その後のバス停は帰途に就く人でごった返しており、バスは道路大渋滞で運行の予定がたたないとのことに、湖畔での母校応援団部の選手激励状況が目に入ったが、後ろ髪を引かれる思いで人波に揉まれながら乗船場へと向かった。
 復路で何としても10位以内のシード権を確保してほしい、確保してくれと願い、昨年6区々間賞の野村選手等の明日の健闘、期待を胸に宮ノ下温泉で床に就いた。
 晴天の翌3日は宮ノ下で応援した。日本で唯一の自家用ロープウェイのある宿(ホテル従業員談)での正月料理の朝の膳もそこそこに済ませ、8時過ぎにロープウェイ乗り場へ、先頭は既に小湧園を通過とのことに間に合うかどうかと気が急いでいたが、身体の不自由な人の乗り場への到着を待ち、降りてから走った、走った、息が整わないうちに広報車、先導者等に続いて最初の選手が通過した。ラジオに耳を傾けていると見えた、来た、来た!、5人抜きで今年も6区々間賞の野村(俊輔)選手が得意の下り坂で、復路(6区)スタート時の13位から9位?とシード権内の順位で宮ノ下を快走して来た時は興奮の余り、周りの人が驚く程の大きな声で応援した。あっと言う間、飛ぶように目の前を、下り坂を疾走して行ったが、転ばないようにと祈る気持ちで後姿を追った。
 全選手の応援を終えた後の箱根周遊中もラジオを聞いていた。優勝出来なかったのは悔しかったが、復路3位の大健闘で、往路13位から総合7位のシード権確保でのゴールがとても嬉しかった。 温泉でゆっくりと身体を温めた後の夕食時、そしてロマンスカーが箱根湯本を発車して直ぐに“箱根駅伝ビール”(サッポロ生ビール黒ラベル)でまた乾杯!、程なくリクライニングシートが“空飛ぶ魔法の絨毯”となり夢の世界へと連れて行ってくれた。
 箱根駅伝、それは新春の素晴らしい“青春のドラマ”です。そして今年で10余年となる箱根での駅伝応援、それは私のもう一つの青春であり、母校との絆でもある。感動と、また来年箱根町で応援出来る夢を与えてくれた選手、応援団員、関係者の皆さん、ありがとう。 (文・写真 岸 毅)

60過ぎて青梅を走れる素晴らしさ

 04年2月、今年も青梅マラソンの季節がやってきた。数えて38回目に我らが41会のメンバー4人が走った。入江、直井、田中(兼)、大島の各選手である。昨年もこの4人は走った。一時は小生を含めて7〜8人が走ったもので少なくなったなあーと感じた。それだけにこの4人はいろんな意味で立派であるし元気でもある。幹事の平山女史は何時も50過ぎて走れることは素晴らしいと言っていたが、あれから10年、60才を過ぎても青梅を走れる素晴らしさを改めて感じ羨ましくも思った。 一方、この素晴らしきランナー達を応援するのは平山、佐藤、鹿島、藤本(審判)の4人の女性達に木内、高橋(英)、浅沼、田口、佐藤(武)、久保寺、鈴木(46)、馬渕及び当社の若きY女性の総勢13人である。
 4人の選手は直井を筆頭に入江、田中、大島と全員悠々の完走であった。特に大島選手は昨年の記録を大幅に更新したという。選手の応援が終わり「かんぽの宿」に向かおうとした時、皆がオリンピック候補選手の野口みずきの走りが見たいとのことで、近くの喫茶店にて約1時間談笑と情報交換。いよいよ先頭選手団が来る時刻になり再び青梅街道へ、来ました!来ました!男子先頭集団に囲まれて野口選手が、想像以上に小柄で精悍、ともかく41会応援団と違って無駄な肉が全くないと感じた一瞬にアッと言う間に走り去っていった。後で聞いたが野口選手は30kmの女子日本最高記録を更新したとのこと、誠にもって頼もしい限りでアテネでの活躍を期待したい。
 かんぽの宿で一風呂浴びて完走会、今回は長老木内さんの音頭で乾杯、選手の感想談などが続いたが昨年と違ったのは同行した若きY女性のお酌があり、少しは華やいだ気分が出たことか。やや間があって平山女史が現在療養中だが、かって共に青梅を走った志村元良(理工学部)さんに全員で寄せ書きをやろうとの提案があり、各自思い思いの励ましの言葉を書き添えた。いつもながら平山女史の心暖かい気遣いに感心、同時にこれが41会だと思った。志村氏はかって41会の会報に青梅マラソン参加の動機や経過を書いていたが、いつも関門(70分)ぎりぎりで走り、その話を皆に面白く話していた。彼の事務所で良く酒をのみながら何時も今度の青梅一緒に(ゆっくり)走ろうねと楽しみにしていたことを思い出す。そんな関係であった志村氏のこと、小生青梅で一度志村氏に後塵を拝したことがあったのだ。そのことが余程うれしかったらしく、人に会う度に馬渕に勝った、勝ったと言っていたことを思い出した。誠に持って悔しい事実なので小生は寄せ書きに「志村に負けた唯一の男」と書き添えた。 (文・馬渕輝夫 写真・鈴木昭夫 46年年卒)

挑戦

遙かな地平線を目指して

 遙かな地平線を目指して  「三度目の正直」という言葉がある。私は、一度だけでなく、二度、さらに三度目となる同じ失敗をした。 人間だけでなく、動物でも同じことで三度の失敗はなかなかしないのではないか。例えば、ライオンは、獲物を狙って失敗ばかりやっていたら飢え死ぬ。獲物を取り逃したら反省(?)し、次回はどのようにしたら捕まえることができるかを考えて獲物(食料)を獲得するのであろう。また、己より強いものに挑み、逆に獲物となるような危険な目にあったら2度と戦わないであろう。頭を下げ、反省のポーズだけであれば猿でもやる。私の失敗とは、日本で3番目に大きい湖である北海道のサロマ湖(塩湖)周辺において「サロマ湖100kmウルトラマラソン」というのが毎年6月末に開かれている。それに3年続けてチャレンジし3回とも完走できなかった、というものである。現在では、超長距離のマラソン大会は国内各地で、各種の距離だけではなく山岳コースとなるアップダウンの激しいウルトラマラソンまで開かれるようになり、参加者も増えて来ている。しかし、サロマの大会は1985年に第1回が開かれたウルトラマラソンの草分けとも言える。また、ウルトラマラソンのシンボル的な大会でもある。100kmの世界最高記録は、男女ともここで出ており、特に女子は安部友恵選手が2000年に樹立した姿を私も見ている。なお、42.195kmを走るのがマラソンであり、それ以上の距離を走るのがウルトラマラソンと言うことになっている。
 初めて参加した時には70kmの地点で制限時間(42.195km、次が50km、以降10kmごとに制限時間が定められている)となりストップさせられた。二回目は80km地点でそして三回目はまたまた70kmの地点で制限時間に引っ掛かってしまった。 私は3回目を挑戦するにあたって、1月には沖縄・宮古島で開催された100km、4月に富士五湖周辺で行われた77kmのウルトラマラソン大会にサロマの 準備として参加し、それぞれ完走した。 にもかかわらず・・・・。  40歳代の後半になって、ジョギングを始め、少しづつ距離を延ばし、マラソンを走るまでになった。しかし、若い頃、走ることをやっていなかった中年を過ぎた身体にどうむちを入れても速く走ることはできない。それでウルトラマラソンに挑戦したのであるが…。  「三度目の正直」とは統計学(?)の問題であるらしい。例えば、さいころを振って奇数の目が出るか、偶数の目が出るかは5割の確率である。例えば、1回振って奇数が出て次の2回目も奇数がでる。3回目に偶数が出た。これが三度目の正直というのではあるまいか。  またまた、今年もサロマのウルトラマラソンの季節となった。平地での走り込みだけでなく、山道のランニング、休日に出勤する時には家から走って事務所まで行く通勤ランまでやった。  しかし、5月の初めに近郊の山に行き、左の足首を捻挫してランニングを中止した。昨年は雪の中を走り、同じ足首を捻挫し松葉杖を使う羽目に陥ったが、今年は松葉杖を使う程ではない。週に2回ぐらい真面目に医者に通い、痛み止めと腫れを取る薬を処方してもらい、きちんと飲み、湿布をしている。しかし、ランニングを休み身体を動かさないでいることができず、腫れが退かないまま6月の中大ウオークラリー(2002年から中大ハイクと名称変更)の時期となってしまった。医者と相談し具合が悪くなったら無理をせず、タクシーに乗るということで中大ハイクに参加することを許可してもらった。
 その後こっそりと走り始めた。1・2km走ると汗がかなり出るとともに足首が走れない程ではないが痛い。早朝走っているところを犬の散歩をしている医者に見つかり、「無理するな」と声を掛けられた。余り汗が出るので医者に相談すると、今飲んでいる薬は痛み止めとむくみをとる薬で、発刊作用がある、と説明を受けた。また、風呂のシャワーでアイシングをしている、というと「そんな甘いことでは駄目。ばけつに氷を入れてやるように」とのこと。大きいばけつを買い込み、毎日風呂に入る時にばけつに氷水を入れむくんだ足をアイシングをした。 足は一向によくならず、クラブの毎週日曜日の練習時に15kmを走るのがやっとで、それも皆よりかなり遅れる。日にちはどんどん経過する。サロマに参加するには休暇をとらなければならない。仕事は忙しい時期であるし、参加を取り止めることも考えた。「行きたい」という気持ちが通じたか家で「観光してきたら」と押され、行くだけは行くことになった。
 この大会のコースは、サロマ湖をほぼ一周するように設定されている。スタートがサロマ湖の西の湧別町、ゴール(最近はフィニッシュという)は湖の東の常呂町となる。そのためスタート地点に近い所に宿泊すると、スタート地点まで行くのはよいが終わったあと宿に戻るのが大変となる。逆の場合はスタート時間が早いため、また大変である。毎回、ホテルはサロマ湖岸の佐呂間町にある温泉ホテルをとっている。ここは、コースの55km地点にあたり、大会のレストステーションともなっているところである。 ワンウェイのコースのため、スタート地点で着替えの荷物などはゴール地点向けの荷物と、中間の「レストステーション」向けの荷物を自衛隊の協力で運んでもらうことがでる。昨年は、レストステーションに着替え一式を用意しシャツから靴下、靴まで全部着替えた。 今回は100kmを走ろうという気負いは全くなく、20km位走り、後は歩いたり走ったりしながら55km地点にあるホテルに戻ることだけを考えた。そしてそこで自転車を借り、伴走は禁止されているが、ランナーの応援をしよう。ホテルで聞くとレンタサイクルがあるとのこと。  スタートは朝5時。ホテルからスタート地点の湧別までのバスが3時半に迎えに来る。起床は2時。食堂に行くと既に多くの参加者が集まり、三々五々と和やかに歓談しながらバイキングの食事をそれぞれとっている。しっかりとご飯を食べる者が多い。マラソンのような長時間にわたるスポーツにはグリコーゲンが必要とされている。たんぱく質を採る必要がありご飯を何杯もお替わりしているが、私は100kmを走るつもりはないのでいつもと同じで無理して食べることなく、量は少ない。  100kmのマラソン大会に出る、というと、途中食事はどうするのか、と聞く方が多い。いつも「そば屋や寿司屋に立ち寄るのではなく、途中走りながら飲んだり食ったり、そしてトイレに行ったり」と応えている。また、足にまめができないか、と聞かれるが、「箱根駅伝の選手のように速く走らないのでできない」。一応、ウエストポーチの中にはバンドエイドなどを入れているが。
 オリンピックを見ても、100m競走では選手は息もせずつっ走り、あっという間にゴールに飛び込む。実況するアナウンサーもじっくり解説もできず大変である。それに対して私どものマラソンは、余程記録を狙っている時を除いて地元の方々の応援があれば手を振って応え、さらに声を出して挨拶し、子供が手を出せばハイタッチする(元気のよいときは)。この大会では5kmごとにエイドステーションが置かれ、バナナ、オレンジ、西瓜、梅干し、あめ、などが用意されている。55km地点にはおにぎり、75km地点には汁粉が準備されている。さらに、その5kmごとのエンドステーションの中間の2.5kmごとに給水所があり大きなポリバケツに水がある。  スタート地の湧別の体育館は各地区のホテル・旅館・民宿から選手約2,000名をサポートする家族・仲間が続々と集まり、ウオーミングアップに軽く走ったり、筋肉を伸ばしたり・さすったり、果物や飲物を取ったり、途中55km地点への荷物とゴール地点への荷物を分けたりしている。私は少し時間があるが、100kmを走る訳でもないのでろくに準備体操もせず、体育館の外に出て仮設トイレの並び具合をみたり、大会スポンサーの清涼飲料水のブースを冷やしたりした。 そこでスペシャルドリンクの受付を見つけた。過去 3回、1回もスペシャルドリンクを預けたことはない。30、60、80km地点に置くことができるとのこと。大会の給水所で出されるスポーツドリンクとは別の、普段飲んでいるペットボトルをウエストポーチに付けて走る予定であったが30km地点用に預けた。  いよいよスタート時間となる。体育館脇の道路は参加者、応援の人で埋まっている。いつもであると街路樹のライラックが咲いているが、今年は花が終わっている。一週間程前は寒く、雪で知床の方の道路が通行止めになったところもあったというが、寒くなってくれという願いは叶わず天気予報は晴れ、今回も暑くなりそうである。長距離を走ると膝への負担がかかる。フルマラソンを走る時でも30kmあたりから違和感を覚える。今回、42.195kmの地点で、普段フルマラソンを走る時よりも1時間遅いタイムで通過したが、ゆっくり走っても距離は変わらずダメージは同じようにある。  スタートは参加者一団となって走り始めたが、段々長い列になってくる。北海道の開拓地らしく数kmの全くの直線の道路があり、高低差のあるところでは前も後ろもはるか先を点々とランナーが続いているのを見ることができる。道路の両側は遠くの山裾までゆるやかな起伏が続く農地・牧草地となっている。ところどころに農家、サイロ、畜舎を見ることができ、その家の周りはきれいに花が植えられている。また、湖岸では漁村らしく網や浮が見え、お年寄りが道路脇に椅子を持ち出し応援をしてくれる。  私の第1回の参加の時は、70km地点でタイムオーバーとなったが、その時に一緒に参加した仲間は75km地点でお汁粉を食べてストップとなった。お汁粉の出るのはこの大会ではそこだけである。第2回参加の時は、1回目に食べそこなったお汁粉をお替わりし、さらにウエストポーチに入れたカメラで写真まで撮ってゆっくりしてしまい、80km地点でストップさせられた。  今回、70kmの関門を10分程の余裕をもって通過。75km地点のお汁粉は一杯だけにして先を急いだ。ところが、私の前を走って    いる女性ランナーが急に止まり、うずくまりもどし始めた。  今これを読んでいる貴方は、道路を歩いていて目の前を歩いている人が具合が悪くなったらどうするか。急ぐから無視して先に進むか。私は先を急ぐことが無視できず、そのランナーの背中をさすった。ゆっくりできず、80kmの関門まで頑張りましょうといい、先に進んだ。しかし、時間はどんどん経過し、80kmの関門通過が危うくなってきた。全体の参加者の中程を走っているつもりであったが、それぞれのポイントで通過できない選手が切捨てられ、今や最後尾を走るようになってきている。  80kmの関門までは2年前に行った。その関門は西に行くが、少し手前を東(右)に2km程行くとゴールである常呂町民センターがある。コースはワッカ原生花園を往復する。原生花園の折り返し点からもどると、すぐに90kmのポイントとなり、先程通過した80km地 点に戻りゴールに向かう。  スタートから80kmの手前まで、一般のトラックなどの走る国道がコースになっており、歩道があれば歩道を走るが、歩道の整備されていないところも多く、大型車に追い越される時はいい気持ちがしない。それに対し、80kmの関門のワッカ原生花園の手前から両側が林で、曲がりくねった上り坂で山道のような感じのところとなる。ワッカ原生花園は、サロマを完走した人から如何にすばらしいか何度も聞いた。また、大会のポスターも原生花園を走るランナーの姿であり、この大会のハイライトともいう場所となっている。  80kmの関門を制限時間ぎりぎりでクリアすると、私と同じように精根つくして関門を通過したランナーが座りこんだり、横になっている者までいる。ここからは初体験の場所である。夢にまでみたワッカ原生花園に入ったのだ。本州の山で森林限界を越えたお花畑のような感じとなり、道の両側にはオレンジ色のエゾスカシユリやバラ科の赤いはまなすが咲いている。直に右手にオホーツク海が見えた。やっと見ることができたオホーツクであり、外海の波の音にも感激した。  しかし、感激しゆっくり楽しんではいられない。次の制限時間とまた戦わなくてはならない。この原生花園の約20kmが疲れたからだにとって長いこと。何とか90kmの関門を通過し、100kmのゴールに時間内に入ることが4回目の挑戦で初めてできた。  声を掛けての応援をしてくれた地元の人達、また学校挙げての給水などのサポートをして戴いた高校生、多くの北海道の方々ありがとうございました。 (文・写真 直井 誠)

負けるな中高年、IT革命なんぞぶっ飛ばせ

第4話 メールについて

 第1話でPC、第2話ではOS(Windows)、第3話では、ネットワークについて述べました。インターネットそのものは、世界中にあるコンピュータを繋いでいる個別のネットワークを1つのネットワークとして取り扱えるようにしたネットワークのことであることは前回述べました。このことは、8千万台とか1億台とかのコンピュータが(まだ増え続けている)相互に接続していると言うことですので、大変な規模といえます。  それだけに、そこで取り扱われている情報量は膨大なものであるだけでなく、その情報伝達量は世界的規模で地球上を飛び交っていることも推測できます。  情報が何の規制もなく世界中を飛び交う事によって、かって人類が経験したことのない数々の諸問題が発生しております。原稿を書いているこの時期にも、私のパソコンにも詐称ウイルスが頻繁に飛び込んできています。誠に困ったことです。  さて、先ず、私たち利用者としては、メールとWebの利用ができる様になることが大事です。(Web、HP:ホームページの事)  メールを始めるには、先ず、自分のメールアドレスを取得するところから始めます。会社に勤めていれば、会社で配布される事が多いと思いますが、私の様に退職してしまうと、個人的に取得する必要があります。  そのためには、ISPを使う事になります。前回述べましたが、ISPはTVなどでよく宣伝していますが、身近なところでは、NTTなどの電話会社、CATV会社、その他いろいろな所で取得できます。(ISP:Internet Service Provider)  このISPは、HPで検索するといろいろありますのでご自分にとって良いと思われるものをいろいろと検討されることをお勧めします。  また、メールでは、文章だけでなく表、画像(静止画、動画)、音声(音楽)などの添付ができますので、それらを使えるようにしてみましょう。  画像(写真等)は、本文を補う手段としてよく使います。写真を取り込むには、デジカメ等が必要になりますが、私はフィルムスキャナー(ネガを取り込む装置)を愛用しております。最近は普通の写真の現像の時、合わせてCDに写真を入れるサービスをしていますので、それを使うと良いでしょう。  また、メールでは、相手がメールアドレスをもっていないとできませんが、最近は家庭の電話が進歩し、FAX付き電話が多いので、相手の電話番号を聞く際にFAXがついているかどうかも確認してみることも必要です。これですとメールアドレスが無くてもメールを出すことができます。ただし、一方通行になりますが。  また、最近では、携帯電話(セルラーホーン)の普及で、メールやWebなどが手軽にできるようになり、パソコンとは異なるコミュニケーションが見られております。  そして、パソコンを使用する場合、使用するソフトの機能を知ることと、そのソフトの操作が付いてまわります。しかし、操作は基本的には、試行錯誤しながら覚えると言うのが一番手っ取り早い方法です。そう言う意味では、失敗の連続です。また、年とともに「どうしたんだっけ」と言う現象が頻繁にあります。できるだけ、「自分メモ」をつくり活用していくことが大事です。さらに、メールは便利なのですが、誰から来たかわからないケースがあります。特に、職場で使うシグニチャーは名刺的な意味合いもありますので、ある程度きちっとしたものが望まれます。そこで、メールの最後にはシグニチャーを必ず付けましょう。シグニチャーはいろいろと工夫して下さい。私のシクニチャーは長々と書いておりますが、日本語が化けても英語だけでも読めるようにしてあります。  シクニチャーをつける意味は、いろいろとありますが、やはり、身元をはっきりさせておくことが、相手に失礼に当たらないというのが暗黙の約束になっていると言うことでしょう。また、大学で使っているメールIDは、言ってみれば、職業上の役職や連絡、宣伝などの役割も持っていると言えます。組織内の友達などとの単なるコミュニケーションであればいいのですが、仕事上でのやり取りになると、組織や役職、連絡先、メールID、HPのURLなど必要最低限の表示が必要ではないでしょうか。メールの世界には国境はありません。(組織内ということであれば、内線電話用電話帳にメールIDも合わせて記載した方がベターですね。 URL:HPのアドレス)  メールは以上のような様々な使い方が出来るのですが、その中で、注意しなければならないことや配慮しなければならないことがありますので、幾つかあげておきます。 1)クイック・レスポンス  電子メールを使ってコミュニケーションをする場合、レスポンスが重要な役割の1つになっております。従来の手紙等のやり取りと違い、瞬時に相手に届きます。  そのため、クイック・レスポンスが電子メールの最高の儀礼になっております。クイックレスポンスが前提となる電子メールは、逆に言えば、レスポンスが無いと、送信者に対し、余計な疑心暗鬼を生ませてしまう事にもなりかねません。これは、電子メールを使う人の責務と思って下さい。  1日中、メールを見ていることはできませんが、最低1日3回(朝昼夕)は見る癖をつけましょう。ただ、最近は「メール着信通知」と言うソフトがあり、メールが来ると、音を出したり、アイコンがク ルクル回ったりして、仕事をしていてもメールが来たことが直ぐ分かります。これらのソフトは殆んどがフリーソフトなので、ご自分でダウンロードし適当なものを使うのも便利です。  また、仕事などで、外出し、メールを見ることができない事など良くあります。この様な場合に備えて、携帯用のPCを持ち歩いたりしますが、普通、なかなかできません。私の例で恐縮ですが、出先(国内、国外)では、Hotmailと言うWebからメールができるメールIDを持っています(取得無料)。最近は何処でも、Webにはアクセス出来る環境(会社、学校、喫茶店、電気屋・・)が多いので、多いに重宝しています。  しかし、最近は、パソコンに来たメールを携帯電話で読むことができるようになり、昔のように携帯パソコンを持ち歩く必要はなくなりました。便利になったものです。でも、返事をするのに小さいキーをコチョコチョやって、メールを出す気になれません。直ぐ電話をかけてしまいます。やはり、年でしょうね。 2)会ったことの無い人とのメールは注意しよう  良く知っている間柄では言葉の使い方、つまり、表現には余り気を使わずに済みますが、これが全く一面識も無い人とのメールのやり取りは、相当注意しなければなりません。たったの一言が感情をこじらし、いわゆるメール戦争に発展します。当然、誹謗中傷の類は控えなければなりませんし、ましてや相手がどんな人なのかも分かりません。  組織や肩書きで判断するのは非常に危険です。こちらは他意が無くても相手はそう取らないケースを数々見ております。  この様な事を回避する唯一の方法は、先ずは会ったことのある人とのメール交換をするのが無難です。また、一面識もない人にメールを出すとき、表現にはくれぐれも注意して下さい。メル友になろうと言うのなら別ですが。どうしても心配なら、電話などで一回喋っておく事が良いかと思います。電子メールという新しい形のコミュニケーションですので、まだまだ種々問題が出てくるかと思います。利用者の努力で問題をクリアーしていきましょう。 3)ウイルス  また知らない人や組織からメールを貰ったときは、いきなり開かないで下さい。その人や組織がどのようなモノなのかを確認して下さい。これはウイルスなどが含まれていたり、自分のメールID等が盗まれたりする恐れがあるからです。  2003年の情報処理新興事業協会 (IPA) にウイルス被害の届出があった件数は15,973件だそうです。年々増加の一途をたどっております。くれぐれも、ご用心下さい。  ちなみに、Outlook Express は、多彩な表現ができるのですが、ことウイルスに関しては少し甘い所がありますので、注意して下さい。  私のPCはメールが来ると、画面に封筒のマークがクルクル回り、合わせて音を出して、メールが来た事を知らせてくれます。先日、いきなり、「ウイルスが入ったメールが来ました」と言うメッセージが出て、「ウイルスを削除しますか?」と言うメッセージも合わせてでました。当然、ウイルスは削除し、誰からのメールなのか見てみましたが、全く知らないIDでした。いつのまにか私のIDが漏れている様です。いずれにしろ、24時間接続になると、ウイルス感知ソフトを常時動かしておく事が必要です。また、ウイルス感知ソフトはこれも常時アップデートしておく必要があります。(ちなみに私のウイルス感知ソフトは自動アップデートにしてあります)  いずれにしろ、自分の事は自分で守る自己防衛は必要なことです。 4)イタズラメール・宣伝メール  特に男性諸氏へ、女性言葉等で変なメールが来た時は、鼻の下を伸ばさないでください。(*^_^*)ほとんどが、ネット「お釜」と言われる男です。また、宣伝メールなども入ってくると思います。心当たりのない宣伝メール等にも注意して下さい。  この様なことは滅多にありませんが、くれぐれもお含み置き下さい。  また、本当の誤メール(メールID間違い)もあります。そんな時は「間違いですよ」と返信して下さい。これも充分ご注意を。(*_*) 5)メールは出さなければ来ません   折角、メールができるようになったのに、メールが全然来ないと言う事を良く聞きます。かと思えば、1日100通も来て悲鳴をあげている人も結構います。特に仕事で使っている人は1日中、返事や指示のメールに追われて、大忙しの状況になっています。  メールが来なくてと嘆いている方は、メールは出さなければ来ません。大いに活用しましょう。メールはコミュニケーションの手段です。また、沢山来て困っている方は、内容を吟味し、ゴミメールは即削除して下さい。  一方、仕事で使っている方の中で、朝7時ごろから出勤し、メール処理をやっている人もいます。特に、現場を持つマネージャーは、部下や業者、顧客等とのメールが格段に増えてきます。  メールは、使い方によって、様々な事に役に立つ 道具です。ただ、手紙や電話等とは違う特長を持っております。そこを良く理解なさり、大いに活用して下さい。今後IT化の進展に伴い、ますます重要な武器になることも、お含みおき下さい。(続く)(岩佐大三郎)

編 集 後 記

 現在、日本国内の「鳥インフルエンザ」の対応策で、不安な状況にある人間社会である。そして、カラスの問題から野鳥に向けても目を光らせることになってしまい、勘違いの方向へと進展しないようにしたいものだ。  別に通常の生活で、人に感染する可能性は極めて低いと言われても、鶏肉を食べようと言う気になれないし、精神的に何か受け付けないものが先行してしまうというのが、正直なところである。  自然界を犯してきた人間の行動が鳥の逆襲によって、我々の心をいろいろな面から考えさせている。かって、アルフレッド・ヒッチコックの作品「鳥」が思い起こさせるのでは?  命ある限り、一人ひとりが何かできることを今の内にやっておきたいものである。
投稿先:橋本紘治
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